ずいぶん前から毎日飽かず目をやる2点の絵がある。たまたまどちらもソニア・ドローネSonia Delaunay(1885‐1979)の抽象的な色彩版画である。1枚はアトリエのソファから、もう1枚は自宅のダイニングの椅子から見える位置に掛けて、一息つくときに眺めている。
アトリエにあるのはエッチングの版画集『私自身とともにAvec moi‐même』(1970年)の中の1葉で、縦49.5cm×横40cmの画面を、微妙に大きさの異なる赤・黒・緑・青・茶の5色の〈四角(カレ)〉の色面が分割している。一方、自宅のものはリトグラフ(*1)の「薄層(ラメラ)Lamelles」(1978年)。黄色、オレンジ、赤、水色、青、黄緑、緑、黒の層をなす〈円(セルクル)〉と〈四角〉の色面で構成された、縦45cm×横40cmの作品だ。
2点とも、個々の色面はクロスハッチ(*2)などの線の集積でつくられていてテクスチャーの違いがあり、平面作品にもかかわらず色面に凹凸があるように見える。あるときは赤がせり出し、あるときは青が後退するといった風で、面は動き、呼吸しているかのようだ。配された色彩のせいだろう、ある温度をもってもいる。日々、この2点の絵は生きて何かを語りかけてくるのである。
ソニア・ドローネには、やはり画家のロベール・ドローネRobert Delaunay(1885‐1941)という伴侶があった。ウクライナに生まれ、幼くしてサンクトペテルブルクの叔父に引き取られたソニアは、ドイツ・カールスルーエで絵を学び始め、1905年にパリへやって来た。ちょうど、後期印象派からフォーヴィスムやキュビスムへと絵画が大きな転換期を迎えたころのことだ。2人は1910年に結婚する。ロベールは19世紀半ばに発表されたシュヴルールの〈色彩の同時的対比の法則〉(*3)をもとに独自の創作を模索していたが、天性の鋭い色彩感覚をそなえたソニアとの出会いによって、〈円〉のフォルムと鮮やかな色彩による〈非具象inobjectif〉の世界を確立した。画面にあふれる豊かな色彩とリズム感から、アポリネールはそれを〈オルフェウス的キュビスム〉、すなわちオルフィスムと名付けている(*4)。
ソニアとロベールという〈2人のドローネLes Delaunay〉が探求したのは色彩相互の関係のあり方だった。隣り合う色彩がうまく調和していれば、面と面とはつながり、1つのまとまった空間を見せる。この理論を図らずも反映し得た最初のものは、1911年にソニアが息子シャルル(*5)のためにつくったベッドカバーだ。彼女がかつてロシアの農家で目にしたような、端切れ布によるパッチワークである。さまざまな色・形・テクスチャーの布がつなぎ合わされた1枚のベビーベッドのカバーは、見事な〈同時的対比contrastes simultanés〉を示していた。これを出発点に、2人のドローネは生涯にわたり創作を続けたのである。
*1 リトグラフlithographは「石版画」と訳されるように20世紀半ば頃までは石の版面に描かれてきたが、ジンク版を経て現在では主にアルミ版が用いられ、版材を問わず平版をリトグラフと総称する。ドローネの「薄層」はジンク版と思われる。
*2 クロスハッチcrosshatchは細かに交差する線により陰影をつける技法。
*3 フランスの化学者ミシェル=ウジェーヌ・シュヴルールMichel-Eugène Chevreul(1786‐1889)は、1839年に著書『色彩の同時的対比と配色の法則De la loi du contraste simultané des couleurs et de l’assortiment des objets colorés』を刊行し、19世紀から20世紀初頭にかけて画家たちに大きな影響を与えた。
*4 1912年、詩人アポリネールGuillaume Apollinaire(1880‐1918)はロベール作品のうっとりするような色彩とリズム感をギリシャ神話のオルフェウスになぞらえ、オルフィスムorphismeと命名した。
*5 シャルル・ドローネCharles Delaunay(1911‐88)は、後にフランス初のジャズ愛好家組織〈ホット・クラブ・ド・フランス〉と機関誌「ジャズ・ホットJazz Hot」の創立メンバーとなり、ラインハルトやグラッペリらの〈フランス・ホット・クラブ五重奏団〉立ち上げのきっかけを作った。