LUCAS MUSEUM|LUCASMUSEUM.NET|山本容子美術館


CAFE DE LUCAS


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ルナ+ルナ

初めて海外を訪れたのは1978年2月、25歳のときだ。なるべく多くの美術館を巡って、それまで図版でしか知らなかった作品の実物を見るのが目的だった。イギリス、フランス、西ドイツ、オランダ、ベルギーを1ヵ月かけて旅した。
 以来、新年にその年の旅の計画を立てているが、見るべき作品は美術館だけにあるのではないと、じきに気づくことになった。美術館に展示されている作品は、どんな名作でもいずれ日本の展覧会場で対面する日がめぐってくるかもしれない。しかし、建築物に描かれた絵や広場の巨大なモニュメントのように、周囲の環境に溶け込んでいて動かしようのないものは、当然その現場まで行かないことには見られない。そこで、旅するごとに、そうした〈現場作品〉を必ず一つは訪ねるようになったのだった。
 海外へ出る折には、毎回〈旅ノート〉をつけることにしている。旅先で出会った人、見たもの、味わったもの、感じたこと、考えたことなどを小さな手帖に記録してゆくのだ。文字で書き留めたりスケッチしたりするのみならず、銅版画家の性(さが)なのだろう、もののフォルムやテクスチャーが気になる。草花をはさんで押し葉・押し花にし、凹凸のあるものの面にはページを当ててフロッタージュ(*1)して、そのまま写し取ることも多い。
 そうして各地の美術の現場の印象や感触を、記憶とともに旅ノートの紙面に残してきた中で、いちばん奇跡的なものとは何かといえば、ラスコー洞窟壁画(*2)を見られたことだろう。世の中には残念ながら、現場へ足を運んでも、誰もが見られるわけではない作品というのがある。見学には事前の許可申請が必要で、申請自体が一定の要件を満たしていなければならない、つまりは研究者などに限って公開されているものだ。中でもラスコー洞窟壁画はどのくらいで許可が下りるか見当もつかないといわれていたが、知人の評論家たちが申請してくれたお蔭で、1996年に一緒に見る機会に恵まれた。
 たしか申請から1年ほど経ったころだったと思う。フランスの文化省から「7月15日月曜日の16時に来るように」と、とても簡潔に書かれた1通のファクシミリが届いた。意外に早くチャンスがやってきたことに感激し、見学指定日まで1ヵ月を切っていたため、取るものも取りあえず渡航の手配をしたのを憶えている。
 旅ノートによれば、1996年7月11日、エールフランス便でパリに入るところからラスコーへの旅は始まっている。まずは翌12日、ポンピドゥーセンターでカルダーAlexander Calder(1898‐1976)の作品とフランシス・ベーコンFrancis Bacon(1909‐92)の回顧展を見て、13日にはパリ近郊セルジー=ポントワーズにイスラエルの彫刻家ダニ・カラヴァンDani Karavan(1930‐)を訪ね、彼のモニュメント「大都市軸Axe Majeur」を見ている。

 

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*1 フロッタージュfrottageとは、フランス語で「こすること」の意。シュルレアリスムの画家マックス・エルンストMax Ernst(1891‐1976)が1925年に創始。石・木・葉などに紙を当てて上から鉛筆や木炭でこすり、偶然生まれる像を写し取る技法。

*2 ラスコー洞窟壁画は、当時18歳から15歳までの4人の少年たちが、第2次世界大戦中の1940年9月12日に発見した。考古学の権威、アンリ・ブルイユ神父らによる検証ののち、戦後すぐに入口の拡張や床面の引き下げなどの工事をして48年に一般公開された。見学者は怒濤のように押し寄せ、55年には見学者の呼気中の二酸化炭素によって彩色画に変質の兆候が現れた。その数年後、今度は見学者に付着して外部から持ち込まれた菌類が壁面に苔を生じさせ、壁画を保全するため、63年にフランス文化省は一般公開を打ち切っている。

 

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