LUCAS MUSEUM|LUCASMUSEUM.NET|山本容子美術館


CAFE DE LUCAS


01

ルナ+ルナ

背後を振り返ると、入ってきた扉のある壁面にもタイル画が設えられている。隣り合う〈聖母子〉と同じ天地で〈十字架の道行Chemin de Croix〉、つまり、キリストがローマのユダヤ総督ピラトによる尋問を受け、十字架を背負ってゴルゴタの丘へ至る〈悲しみの道(ヴィア・ドロローサ)〉の14の〈留(りゅう)〉の場面が1枚の壁画のなかに収められている(*11)。その後、1996年にエルサレムへ行ったとき、1キロほどの〈悲しみの道〉を実際に歩いたことがあったが、石段の続く道程で〈留〉ごとに場面が刻み込まれた壁のレリーフは、祈りを捧げながら巡礼者が触れるため長い年月のうちに形を変えていて、ロザリオ礼拝堂のタイル画に感じた浄化された悲しみが逆に鮮明に蘇ったものだ。

〈聖母子〉の壁画脇の、レース編みのような透かし彫りの施された純白の扉は、告解室の入口だった。大きさの不揃いな8つのブロックごとに異なる文様が彫られ、このような告解室ならば緊張せずに心を開くことができそうに思えた。
 マティスは外装、内装から家具類に至るまでをデザインし、そのなかに尖塔、ステンドグラス、聖画、祭壇など礼拝堂の構成要素も網羅している。約束事をふまえつつ自由に創造され、新しい礼拝堂建築として完成された傑作なのだが、さらに目を見張ることになったのは、聖具室などがある礼拝堂裏に展示されていた白、緑、ピンク、紫、赤、黒の6色の祭服だった。献堂式をはじめとする特別なミサの折に司祭が着用すべく、マティスの切り紙絵によるデザインをもとにつくられたものだ。祭服の存在により、マティスはここで実際にミサが行なわれることを想定して創作に当たったことがあらためてわかる。単に礼拝堂という建物をつくったのではなく、礼拝が行なわれる場そのものをつくったのだ。ロザリオ礼拝堂は美術館であると同時に祈りの場なのである。1951年6月25日に礼拝堂の献堂式が行なわれ、その3年半の後、マティスはニースの〈ル・レジナ〉で亡くなっている。
 往復の坂道に春の草花が咲き乱れていたので、〈旅ノート〉にはさんで押し花にし、その横に「マティス、ヴァンス」と書き込んだ。こうして採集した土地やゆかりの作家たちの名前を記しておけば、押し花がどんなに古びても旅の興奮を運んできてくれるはずだと。

 

Next>>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*11 14の留は次のとおり。第1留=死刑宣告を受ける/第2留=十字架を担う/第3留=イエス、はじめて倒れる/第4留=イエス、母マリアに会う/第5留=キレネのシモンの助けを受ける/第6留=イエス、御顔を布に/第7留=イエス、再び倒れる/第8留=イエス、エルサレムの婦人を慰める/第9留=イエス、3度倒れる/第10留=イエス、衣をはがされる/第11留=イエス、十字架に釘付けにされる/第12留=イエス、十字架上で息を引き取る/第13留=十字架降下/第14留=イエス、墓に葬られる。

 

page top

Copyright©2007 Office Lucas All Rights Reserved.