『うれしいひな祭り』1998年 ソフトグランド・エッチング、グワッシュ / 紙 20×16cm  ©️Yoko Yamamoto


Artist's Notes:
祖父に買ってもらった人形(※左)を、私は恐る恐る何体も〈解剖〉したことがある。バービー人形が出現する前は、人形といえば中に硬い藁や木屑のようなものが詰まった布製で、帽子を剥がした頭部にはくっきりと縫い目があったのを憶えている。そうやって壊しても祖父はまた新しいのを買ってくれたが、新しい人形を友だちが抱こうものならバトルは必至で、ひな祭りの記念写真でも私の髪はくしゃくしゃ(※右)だった。この絵では赤がポイント。緋毛氈(ひもうせん)の色を全体に塗ってしまうと歌の楽しさが出ないため、同じ色を三人官女の袴と五人囃子の影とに使い分けている。

   


大きな木箱から祖母と母がそーっと人形達をとり出して冠をかぶせたり髪飾りをつけてゆく。そして道具を持たせてひな人形は完成。大きくなったら自分で飾る日がくるからね。ちゃんと座って見ておきなさい。今は覚えられないから触ってはいけません。と、言われていた。
おひなさまのお道具はとっても繊細で子供の指で触れてもこわれそうに華奢だった。そこが魅力的で、お行儀よくままごと遊びに使っていても、お小言を言われた。

そのうち手伝いが出来るようになると、五人囃子の指のカタチに合わせて笛や太鼓のバチを差し込むと正解を与えられたようで安堵した。三人官女の黄銅色の金属で作られた柄杓を掌に置く時は緊張し、おひなさまの両手に扇を持たせると五色の飾り紐を整えてうっとりしたものだった。お内裏さまの手にする長い棒が笏という道具だと知ったのはもっと後になってからだったが、刀、弓、矢を人形に持たせると生き生きしてくるように思えた。

さて、おひなさまを木箱にしまう日、お人形の顔には「また来年ね」と言いながら細長く薄い紙を巻いてゆくのだが、目隠しをするようでとても悲しかった。ひな人形は妹が虫干ししてくれるようになり、平成三年三月三日が父の命日となってからはひな祭りは桃の節句となり、サトウハチローさんの詞を歌いつつお酒を飲みながら過去へのセンチメンタルジャーニーをする日となった。



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