LUCAS MUSEUM|LUCASMUSEUM.NET|山本容子美術館


CAFE DE LUCAS


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ルナ+ルナ

翌日の〈7月14日(ル・キャトルズ・ジュイエ)〉、フランス革命記念日の朝に、いよいよラスコー見学に向け、パリ・オステルリッツ駅から国鉄(SNCF)の列車でフランス南西部方面へ発った。3時間でリモージュに着き、そこから隣県ドルドーニュ(*3)の中心都市ペリグーへは車で南西へ30分の道程だった。ラスコーはペリグーのさらに南東、ドルドーニュ川の支流ヴェゼール渓谷のモンティニャック村から2キロの、小高い丘陵地帯にある。
 7月15日の見学当日は快晴だった。まずは、ヴェゼール渓谷の下流寄りにあるレ・ゼジー=ド=タヤック=シルイユ村(通称レ・ゼジー)周辺に点在する先史時代の史跡や博物館を訪ねた。レ・ゼジー一帯には、切り立つ断崖に穿たれた無数の洞穴がある。地中約20メートルにぽっかり開けたラスコー洞窟とは違って、奥で火を焚いた跡などもある岩陰の住居跡(*4)だ。観光案内所でもらったパンフレット(*5)の表紙に、レ・ゼジーは〈洞窟の国〉の〈先史時代の首都〉とうたわれていたが、旧石器時代後期には、そこにわれわれの直接の祖先であるクロマニヨン人の集落があったのである。
 さて、断崖が続くヴェゼール渓谷沿いとはうって変わってなだらかな丘陵に、ラスコー洞窟はあった。周囲に金網をめぐらせた入口の脇で、ペリグーの国立先史学センター研究員、ノルベール・オジュラ氏(*6)から説明を受けた。
 見学者が入れるのは1週間に5日間、1日1回16時からで、1回に入れるのは5人、それも35分間だけだという。5人で35分という厳密な数字の根拠を尋ねたところ、「5人(案内の研究員も含めると6人)が呼吸したときに出る二酸化炭素が35分で洞窟内に充満するから」とのこと。それを超過すると、壁画が二酸化炭素に侵されてしまうのだ。洞窟内では呼吸をするなとは言わないまでも、余計な会話を慎んでほしい、質問は入る前に受け付けると言われた。とはいえ、現物を見てみないことには質問もできない。「自分は絵描きだが、実際に中で絵を見てから質問させてほしい」と頼んでみた。見学に訪れるのは研究者が中心で、美術家はまずいないらしい。特別に中での質問が許可されたのだった。
 洞窟内部へと急な階段を下ってゆく途中に、4枚の鉛の扉があった。それぞれの扉の脇には水を張った小さな桶が置かれている。靴底を水に浸して洗い、マットで拭うのである。1つの扉を通過するごとにその動作を繰り返すことになったが、階段を下りるうちに靴底にはまた土や埃がつく。それならば靴にカバーをかぶせるなりしたほうがよさそうなものだ。しかし、オジュラ氏は大真面目で手本を示す。5人で35分という厳密さとのギャップがおかしかった。

 

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*3 ドルドーニュ県地方は古くからペリゴールと呼びならわされてきた。ラスコーのある南東部は、セイヨウヒイラギガシの黒っぽい森から〈黒のペリゴール〉、ペリグーのある中央部は、石灰岩台地であることから〈白のペリゴール〉という。近年、谷あいに牧草地が広がる北部を〈緑のペリゴール〉、ワインの産地の南西部を〈深紅のペリゴール〉として、ペリゴール地方は4つの地域に分けられている。

*4 住居の岩陰は、フランス語で風雨や危険から身を守る避難場所、シェルターを意味する〈アブリabri〉と呼ばれている。

*5 フランス・ドルドーニュ県レ・ゼジーの観光案内所パンフレットは4つ折の観音開き。表紙を開けると付近のイラスト地図があり、さらに開くと、代表的スポットと宿泊や食事の情報が載っていた。

*6 説明を聞きながら旅ノートにオジュラ氏の顔をスケッチし、隣ページにご本人に名前と所属先を書いてもらった。


 

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