LUCAS MUSEUM|LUCASMUSEUM.NET|山本容子美術館


CAFE DE LUCAS


01

ルナ+ルナ

最後の扉から洞窟内部へ足を踏み入れた途端、ひんやりとして湿った空気がやってくる。結露を防ぐため、ラジエーターによって内部は12、3度に保たれているという。豆電球のような小さな明かりが張りめぐらされているのだが、初めは暗闇も同然だった。薄暗さに目が慣れると、周囲のほの白い石灰岩が見え、対峙する巨大な2頭の牡牛が中空に浮かび上がった。洞窟には通常の建物のように天井と壁との区分はない。楕円形の上半分とでもいった連続する面に描かれた牡牛はまさに中空に浮いていて、いまにも動き出しそうだ。牡牛の体長はそれぞれ3メートルから4メートル。2頭で10メートルに及ぶ大壁画が、7メートルほど上の岩肌に描かれているのだ。かつて教科書で見た図版からはまったく想像もつかなかった大きさ、迫力に、ただただ驚いたのだった。その反対側の右壁にも、さらに2頭、体長約4メートルと5メートル50センチの牡牛が描かれ、最初に足を踏み入れたこの奥行き20メートル弱の主洞は〈牡牛の間〉と呼ばれている。
 それらの牡牛や〈一角獣〉、重ね描きされた馬たちは、線刻画ではなく彩色画だ。事前の説明では、洞窟内の彩色画は黄色と赤と黒の岩石を材料にした顔料を用いているとのことだった(*7)が、実際に見ると、白っぽい岩の面に黄色、オレンジ、赤、茶色、黒の5色で描かれている。黄色と赤でオレンジ、赤と黒で茶色と、混色されていたわけだ。その5色は岩肌の白と強いコントラストをなし、実に鮮やかに見えた。
 それにしても、1頭が5メートルもの牡牛を暗闇で描けたはずがない。松明でも燃やしながら描いたのだろうか。オジュラ氏に明かりについて質問すると、石の窪みにおそらくは鹿だと思われる獣の脂を入れ、火を灯して描いたのだと、手のひらを窪ませて見せる。瞬時に鳥肌が立った。30センチ程度の絵なら、そんなランプが2つあれば何とか描けるにせよ、5メートルの絵は遠くから全体のバランスを見つつ画面に近寄って描くことになり、画面全体を照らす明かりのほかに、後ろに下がったときの通路の明かりも必要だ。牡牛を描くためにその小さなランプが辺り一面に灯されている情景を想像したとき、やはりこの洞窟は住居などではなく、神殿や墳墓のような、外界からは閉ざされた神聖な空間だったのだと感じる。
 絵と明かりには密接な関係があるものだ。明かりでモチーフも描き方も変わり、絵から描かれた時代が嗅ぎ取れる。19世紀後半に白熱電球が発明され、電球の明るさに驚いた未来派の画家ジャコモ・バッラは、電球そのものを絵にしてもいる(*8)。印象派が外の太陽光の下へ出る前、絵は暗い屋敷の中で松明やランプを灯して描かれていた。ルーヴル美術館が薄暗いのは、展示されている絵が描かれた時代が薄暗かったからである。文明史と文化史とはクロスしているのだ。
 絵を7メートルも上の位置にどうやって描いたかについては、岩肌のところどころに孔が空いており、そこに杭を挿し込んで上ったと想像されるという。ただし、現在7メートル上にあるのは地盤が沈下した結果かもしれず、描かれたときは目の高さだったことも考えられるそうだ。ラスコーの洞窟壁画は一応いまから約1万7千年前に描かれたとされているものの、絵の様式などから、5千年間ぐらいにわたって描き継がれた可能性が指摘されている。その間、ここに洞窟があるとどうやって言い伝えられたのかも不思議だが、足場や梯子など、どんな道具がどう発達を遂げたのかについては、ランプの石のように具体的なものが残っていない以上、謎と言うほかない。

 

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*7 ジョルジュ・バタイユ著作集第9巻『ラスコーの壁画』(出口裕弘訳、1975年、二見書房)には、「彩色の材料は、地層から採れるものを砕いて、水あるいは油っぽいものに溶かすという形で用いられた。溶液の状態もしくは捏粉状のものとして用いられたのだ。酸化金属が主だった。特に黒はマンガンによって作られ、赤みがかったオーカーは酸化鉄だった」と書かれている。

*8 20世紀初頭のイタリアで、詩人マリネッティFilippo Tommaso Marinetti(1876‐1944)が唱えた未来派運動は、文学や芸術において近代文明を称揚し、運動性や速度を表現することを志向。ジャコモ・バッラGiacomo Balla(1871‐1958)は、1909年、174.7×114.7cmの画面一杯に電球が光を放つ『電灯Lampada ad arco』)を制作した。

 

 

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