〈身廊〉の右壁には、太い線で鹿の頭部だけを1列に岩肌の地層の上に描いて、川を渡っていく鹿の群れを表現している絵もあった。地層を川に見立てたのである。首を上げた鹿たちは、クラナッハ父子の狩猟の絵(*10)のように、まさに泳いでいるようだ。岩肌を利用するということでは、たとえば岩のカーブの部分に馬の前肢の筋肉や腹のふくらみをもってきているものもいくつも見かけた。
竪穴の〈井戸〉へは降りられず、上から覗き込んで、唯一の人間が野牛(バイソン)と犀と槍とともに描かれている有名な情景を想像してみる(*11)。それまで見てきた動物画が美術のはじまりであるのに対して、アニメーションのような単純化された〈井戸〉の線画は何らかの物語を想起させるから、文学のはじまりに違いない。ちなみに、動物と一緒に描かれていた〈檻〉だとされている記号は、文字のはじまりだろう。
見学も終わりに近づいたころ、オジュラ氏から「この中に熊が1匹だけいるが、どれだかわかるか」と尋ねられた。目を凝らして探したところ、確かに〈牡牛の間〉の1頭の牡牛の腹の辺りに熊が隠れていたのだった。洞窟周辺に熊がいたとは考えにくい。そこで俄かに真実味を帯びてくるのは、絵が移動しながら狩猟採集生活を送る人びとの記憶によって描かれたものという説だ。季節ごとに移動する動物の群れを息を殺して木陰などから見つめていたからこそ、描かれた動物がほとんどすべて横向きだとも考えられそうである。
ラスコー洞窟で人びとはさまざまな技術を使いこなしていた。彼らにはどうしても描きたいものがあって、それをどうやったら表現できるかと苦心した末に、プロフェッショナルな技法が生まれたのに違いない。周囲の風景は一切描かれておらず、彼らはどうしても動物だけを、暗い地中の洞窟の奥深くへ入ってまで描きたかったのだ。
実際にラスコーへやって来て初めて、動物の絵には何らかの祈りや願望が込められているとも感じた。この体験が、その後いろいろな美術作品を見るときに非常に役立っている。その人はどんな環境で何を考えてその絵を描こうとしたのかを問うのと同時に、作品の見せ方について考えるきっかけとなった。
翌日、本物のラスコー洞窟の代わりにと一般の見学者のために造られたレプリカ〈ラスコーⅡ〉を見に行った。こちらはモンティニャックの観光案内所で1日に2千枚まで入場券が販売される。〈牡牛の間〉と〈奥洞〉のみとはいえ、温度や暗さも含め、写真ではわからない洞窟内の環境が再現されていた。実物さえ保存に努めつつ研究者に公開している(*12)フランスには、人類の遺産を皆で共有しようとの姿勢がうかがえる。日本の高松塚古墳の壁画も何らかの方法で公開されたらいいのだが。
〈ラスコーⅡ〉からの帰り道、道路端のビストロへ入った。美食(ガストロノミー)でも知られるペリゴール地方はフォアグラやトリュフの産地で、あちこちの農家から鴨や鵞鳥の鳴き声が聞こえてくる。残酷ではあるがフォアグラのパテと、暑い時季とあってパスティス(*13)を注文した。琥珀色の〈リカール〉に水と氷を入れてかき混ぜると、さっと白濁する。石灰岩を思わせるその液体をくいっとやったら、視神経の集まっている辺りがくらりとした。
*10 ルーカス・クラナッハLucas Cranach(父:1472‐1553、子:1515‐86)は、仕えていたザクセン選帝侯が鹿の群れを川に追い込んで狩猟を行なう絵を複数枚描いている。
*11 現段階では、人間の絵は〈井戸〉の中でしか発見されていないが、最近の調査で〈牡牛の間〉の下に大きな空洞があるらしいことが判明。そこに大勢の人間が描かれているかもしれないとも言われている。
*12 2007年11月27日付け「ル・モンド」紙によれば、同年7月、ラスコー洞窟壁画に認められた深刻なカビへの対応のため、フランス文化省は向こう3ヵ月間、一切の見学を打ち切っている。
*13 アニス風味のリキュール、パスティスは南仏マルセイユを中心に生産されている。〈リカール〉はその代表的な銘柄。