先住民(インディヘナ)や混血(メスティーソ)と白人とのさまざまな葛藤が見てとれるその絵は、左右に分かれてカーブを描きながら上階に伸びる階段沿いの壁面に折れ曲がって続いていた。階段を正面から上って右手が「スペイン征服以前のメキシコ――古代の先住民世界México prehispánico - El antiguo mundo indígena」(1929年、7.49×8.85m)、左手にあるのが「メキシコの今日と将来México de hoy y mañana」(1934-35年、7.49×8.85m)だ。この3点をあわせて、古代から征服期、革命を経て未来に至るメキシコの歴史を描いたフレスコ画『メキシコ人民の叙事詩Epopeya del pueblo mexicano』(*5)をなしていたのである。
この巨大な作品は、建物内部の1階から2階へ続く壁面という壁面に、刺青するかのごとくに描かれているわけだ。ただ、刺青は身体を外から包む皮膚にするものだから、体内の横隔膜から心臓を経て、肋骨の内側へと色がつけてあるような感じとでも言うべきだろうか。
巨大なばかりか、画面が折れ曲がって連なっているため、どこに立っても一目で作品の全体像を見渡すことはできなかった。階段を上りながら身をくねらせたところで、視野には収まりきらない。それならば画面から離れてみよう、高いところに上がれば俯瞰できるだろうと、2階のバルコニーまで一気に上ってみたが、今度は身を乗り出してもバルコニーに遮られて絵の上部が見えない。小さな絵は近寄ってつぶさに、大きな絵は遠ざかって全体を、などという美術館での絵の見方は一切通用しないのがこの大壁画なのだった。
全体を頭の中に入れようと思ったら、そこまでの情景を記憶しておき、絵に沿って進んでゆくほかない。まさに絵巻物の中にわが身をおいて見るような感じだ。おまけに、描かれているメキシコの歴史を順にたどろうとすると、一旦右手から2階へ上ったうえで1階へと下りてゆき、再び左手から2階へと、階段を上り下りすることになる。
身体を使って画面を追ってゆくうちに、この壁画の構図は建物内部の構造を十分に把握したうえで考えられたものだということがわかったが、同時に、描かれた壁画と建物の構造が視覚的に不思議な空間をつくり出すことにも気づいた。絵とともに空間が持ち上がったり、歪んだり、落ち込んだりするのである。平面作品では味わったことのない感覚だった。
*5 国立宮殿の1階から2階にかけての壁画の制作は、フリーダ・カーロと結婚した1929年から開始されたが、サンフランシスコ、デトロイト、ニューヨークと、壁画制作や展覧会のためアメリカに滞在していた時期は中断されている。ニューヨークのロックフェラーセンターの壁画がレーニンの姿を描き込んだことで依頼主のロックフェラーに拒否されたのをきっかけに、夫妻は1933年末、メキシコへ戻った。
なお、その後、国立宮殿の2階の中庭に面した回廊にも、リベラの11面の連作からなる『スペイン征服以前と植民地時代のメキシコMéxico prehispánico y colonial』(1942-51年)が描かれた。