彼女は大抵、車椅子に乗り、脇の鏡に映る自分と対話しながら、窓から見えるものも祈りとともに自画像に描き込んでいた。小さな画面に描かれているのは彼女自身であっても、その絵には壁画運動にも通じるメキシコの民族性を象徴的に表現した深遠な世界が広がっていたのである。
アトリエに続く廊下には、寝たままで自画像を描いた天蓋付きのベッドがある。どうしようもない孤独と絶望を味わいつつも、意志の力で小さな画面を相手に格闘しながら、何点もの絵に取り組んだ。いまはその上に彼女が着けていた石膏のコルセットが置かれている。ふと見ると、アトリエにはフリーダの遺灰の入った壺もあった。
訪れるたびに、この建物からはフリーダが暮らした生々しい痕跡が薄れ、庭の草木の手入れや遺品の整理も行き届いて博物館らしさを増しているように思うが、彼女が最期まで闘ったこのアトリエの空間だけは、いつも勇気を与えてくれる。フリーダ本人にとってはレタブロ的な祈りの要素が強かったのかもしれないにせよ、ここで制作された数々の自画像は、彼女が生きた証しにほかならない(*13)。
では、巨大壁画を多数残したリベラにとっての生きた証しとは何だろう。作家ならば、作品が感嘆されるのもさることながら、愛されるほうが喜ばしいと言えるかもしれない。
メキシコ・シティの中心街にある緑豊かなアラメダ公園の一角には、〈ディエゴ・リベラ壁画館〉が建っている。中に展示されている作品は、「アラメダ公園の日曜の午後の夢Sueño de una tarde dominical en la Alameda Central」(1947-48年、4.8×15m)(*14)1点のみ。元は公園そばのホテル・デル・プラドを飾る壁画だったが、1985年の大地震でホテルが倒壊した際、市民が協力して運び出し、あとからその壁画を収容するために現在の壁画館が建てられたという。
行ってみると、建物内部は板張の床と高い天井でできたホールで、確かに壁画作品は正面の壁の前にそれ1点だけが置かれている。国立宮殿の壁画のように、描くときも見るときも建物の構造の制限を受けるものとは対照的に、その絵を見せるためだけの空間が存在していた。映画館の2階席のように上から見下ろすこともでき、風刺版画家ホセ・グアダルーペ・ポサダJosé Guadalupe Posada(1851-1913)と、彼が生んだ骸骨(カラベラ)のキャラクター、カトリーナを中心に、公園に集ったメキシコ史を彩る人物たちの群像が描かれた壁画の全体像が鑑賞できるよう工夫されている。何とも幸福な作品である。
ところが、もっと驚く仕掛けが用意されていたのだった。描かれた人物について説明する音声が流れるなか、画面を見ていると不意に電灯が消え、何事かと思ううちに鳥の声が聞こえ、木々に光が当たって、公園に広がる森が見えてくる。風の音のあと、飴売りの声がして画面の飴売りにスポットが当たる。ざわめきに続いて人びとに順に光が当たってゆき、1枚の壁画を光と音で映画のように見せてくれるのである。カトリーナと手をつないだ少年リベラの上着のポケットからカエルとヘビがのぞき、彼の肩にフリーダの手がそっと置かれている。画面を細部にわたって繰り返し見る喜びを教えられることにもなった。
絵をじっくり味わうための環境ばかりか、楽しませながら見せる心憎い演出まで考えたその壁画館のサービス精神に感激し、さまざまな立場からの絵に対する愛情を実感したのだった。
*13 2007年はフリーダ・カーロ生誕百年とディエゴ・リベラ没後50年とが重なった年だった。
メキシコでは、国立芸術院で大規模な回顧展「フリーダ・カーロ 1907-2007 国民より敬意を捧ぐFrida Kahlo 1907-2007 Homenaje Nacional」が開催されたが、一方、〈青い家〉でも50年ぶりに夫妻のデッサンやドキュメントなど2万点に上る遺品が日の目を見た。
自分の死後15年は公開するなとの遺言とともにリベラが弟子に託したものだったが、あとを受けたリベラ夫妻の作品のコレクターにして、リベラのモデルもつとめたドローレス・オルメド・パティニョDolores Olmedo Patiño夫人(1908-2002)が、自身の存命中は封印していたのだという。
なお、リベラ夫妻の絵画作品をはじめ、富豪の彼女が収集した美術品の数々は、自邸を改装した美術館で1994年から公開されている。
*14 この作品にインスパイアされて、『ルーカス・クラナッハの飼い主のメキシコ旅行』(1992年、徳間書店)の表紙絵を制作した。鳥の声が聞こえる日曜午後のアラメダ公園を、フリーダとリベラと自分とパートナー、それに愛犬ルーカスが散歩している。
山本容子「アラメダ公園の日曜日の午後の夢」1992年、エッチング+手彩色、10×10cm
※印の写真:撮影/荒生真美