LUCAS MUSEUM|LUCASMUSEUM.NET|山本容子美術館


CAFE DE LUCAS


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ルナ+ルナ

フリーダが生まれ育ったメキシコ・シティ郊外のコヨアカン地区にある〈青い家(カサ・アスール)〉は、彼女が息を引き取った場所でもある。フリーダ亡きあと、リベラがメキシコ市民に寄贈したマリンブルーの外壁の家は、フリーダ・カーロ博物館として公開されている。
 門を入ると、敷地内には鬱蒼とサボテンなどの熱帯の植物が茂っている。博物館の入口脇の青い壁には手書き風の文字で「フリーダとディエゴは1929年から1954年までここに住む」と記されているが、実際に2人がここでともに暮らしたのは、離婚と再婚を経た1941年以降のことである。
 1階は食堂と台所などで、2階にフリーダの遺品がほぼそのままの形で保存された寝室やアトリエがある。2階へ上る階段の踊り場で目を引くのは、壁に掛かったおびただしい数の〈レタブロretablo〉という奉納画のコレクションだ。メキシコの人びとが怪我や病気から快復したとき、神に感謝して捧げるため、2、30センチ四方のブリキなどの金属板に描いた板絵で、身の回りに起こった不幸な出来事が絵にしてある。たとえば、フリーダ自身が1943年に描いたかつての交通事故についてのレタブロには、斜め上に聖母マリア像、下部は詞のスペースにして、「カーロ夫妻は悲しみの聖母さまに、1925年、交差点で起こった事故から娘フリーダをお救いくださいましたことにつき、感謝いたします」などと綴られ、残りの画面に大破したバスと電車の間に倒れてぐったりしているフリーダの姿がある。そうして苦しみや痛みの物語が直截に表現されたレタブロは、メキシコの救いを求める民のたくましくも素朴な祈りの絵なのである。フリーダの描く痛みにみちた自画像にも、このレタブロの手法を踏まえた祈りが込められているものがある。
 2階には、フリーダが身につけていた〈テワナTehuana〉と呼ばれるメキシコ南部オアハカ州テワンテペック地峡に暮らす先住民(インディヘナ)の色鮮やかな民族衣装や髪飾り、アクセサリー、バッグなどの展示室がある。手紙や絵日記(*11)、写真といったドキュメントが見られるコーナーを抜けると、その先は明るい陽射しの降りそそぐアトリエだ。草木が繁茂してちょっとしたジャングルのような中庭が見下ろせる、開放的な空間になっている。
 身体の自由が利かないフリーダがアトリエにいながらにして絵が描けるようにと、父や夫は大きな窓のアトリエをつくり、緑あふれる中庭の池のそばに小さなアステカの神殿(ピラミッド)を設えた。その上に並べてある土偶は、古代の出土品の散逸を防ごうとリベラが自ら買い集めたものの一部らしい(*12)。フリーダが生きていたころには、その庭でペットの鹿や猿、アステカ犬のメキシカン・へアレス・ドッグ、オウムなども飼われていた。それらはすべてフリーダの絵のモチーフになっている。中庭はまさに彼女の宇宙を形成していたのである。自分ならば、アイデンティティを表現するためにいったいどんなものを集めるだろう。

 

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*11 フリーダが最後の10年間に描き続けた絵日記は、油絵よりもはるかに激しい筆致の絵や文字でページが埋め尽くされている。迫りくる死の影をひしひしと感じながらも、生命力をみなぎらせた彼女の肉声が聞こえるようだ。
 現存する161ページ分の複写版が1995年に書籍として刊行されている。
英語版:『フリーダ・カーロの日記――秘められた自画像The Diary of Frida Kahlo: An Intimate Self-Portrait』(1995年、Harry N. Abrams)

*12 リベラはアステカの神殿を模した〈アナワカリ博物館〉を自らの設計でメキシコ・シティ郊外に建て、出土品6万点を展示している。

 

 

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