美術作品が美術館などに収蔵される場合、まず建物があって、その中の適当な空間に収められるのが一般的だが、メキシコ・シティにはディエゴ・リベラの壁画「アラメダ公園の日曜の午後の夢Sueño de una tarde dominical en la Alameda Central」のために建てられた美術館があった。地震で倒壊した建物から市民の手で救い出されたその壁画は、新たな場所で工夫を凝らした展示もなされ、実に幸福だと言える。
それと同じくらい幸福な作品がホノルルの現代美術館(*1)にもあった。デイヴィッド・ホックニーDavid Hockney(1937‐)の手になる、モーリス・ラヴェルMaurice Ravel(1875‐1937)のオペラ『子供と魔法L’Enfant et les sortilèges』の舞台セットのインスタレーション(1983年)だ。
旅先では必ずその土地の美術館を訪ねることにしている。1991年5月に家族でハワイを訪れた際、どんな作品があるのかも知らないまま現代美術館へ行ってみたところ、庭園の一角にある別棟のミルトン・ケーズ館にそのホックニーの作品が展示されていた。パンフレット(*2)の解説を読んでわかったのは、ミルトン・ケーズ館はホックニー作品を常設展示するための場所として設計され、作品への照明もホックニーの意匠にしたがって施されているということだった。
抜けるような青空が広がっていたその日、乾いた風が吹きわたるなかをレンタカーでマキキの丘のふもとまで行き、徒歩で坂を上った。美術館の敷地への入口は丘の上にあり、緑の芝生の中にたたずむ白壁の建物が本館だった。庭園を散策してからホックニーのインスタレーションのあるミルトン・ケーズ館へ向かったのだが、これ以上ホックニーに似合う場所はないと思えた。青い空、きらめくような明るい陽ざし、緑の芝生、そして白壁の建物。ホックニーがたびたびクリアな色彩を用いて油絵の中で描いてきた、彼の住むロサンゼルスの風景がまさしくそこにあったからだ。
ホックニーが生まれたのはイングランド北部のヨークシャー地方ブラッドフォードで、地元の美術学校とロンドンの王立美術大学で学んだ後、ロンドンを中心に制作活動を行なっていたが、1964年に初めて旅したロサンゼルスの風土に魅せられ、1970年代の終わりにはロス郊外のハリウッド・ヒルズを生活と創作の本拠地に定めた。そこで友人や身近な風景をモチーフに、明るい画面が特徴の数々の絵画を描いている。1971年に日本を旅したあとは、富士山の見える窓辺に置かれた一輪挿しの水仙(「富士山と花Mt. Fuji and Flowers」)や、雨が降りしきる路面(「カンヴァスに降る日本の雨Japanese Rain on Canvas」)(以上、1972年)といった日本画を思わせる油絵を描いたこともあった。
*1 ホノルルの高台にある14000平米の敷地に建つ個人邸が、1986年、現代美術館に供された。邸は改装されて美術館本館となり、野外彫刻が点在する庭園の中に別館のミルトン・ケーズ館が増築されて、88年10月に開館した。
*2
ホノルル現代美術館発行のホックニーによる『子供と魔法』の舞台セットのパンフレット