Henri Matisse - Formes libres
「マティス 自由なフォルム展」で、身も心も緩やかになった。
まずは、「花と果実」1953年の切り絵の大画面に包まれ祝祭の気分に。「ブルー・ヌードⅣ」の画面に”HMATISSE 52”のサインを見つけ感動。1952年は私の生年なのです。青に染めた紙を切りとっては継ぎはぎしてゆくマティスの息使いを感じると、ブルー・ヌードのビーナスが誕生する。
私のお目当ては、彼の最晩年の大仕事、「ヴァンスのロザリオ礼拝堂」。そしてその礼拝堂の1/20の模型と再会すること。かつて、この模型はニース市マティス美術館の展示室の片隅で温かな空気をまとって微笑んでいた。一昨日も同様にむき出しのまま、マティスの言う彼の「感覚」と「手」で作りあげた作品がまさに自由なフォルムを手に入れる時間を紡ぎだしていた。
1951年はロザリオ礼拝堂献堂の年。そして、日本で初めてのマティス展が開かれた年に当たる。マティス自身が計画を示し、展覧会は「マティス台風」と呼ばれたという記録が残っている。マティスに会って、気持ちを軽くしたいですね。
山本容子
この写真が花と果実です。データとしては、縦4.1mx横8.9mです。立っているだけで幸せになりました。
「マティス 自由なフォルム展」で、身も心も緩やかになった。
まずは、「花と果実」1953年の切り絵の大画面に包まれ祝祭の気分に。
「ブルー・ヌードⅣ」の画面に”HMATISSE 52”のサインを見つけ感動。1952年は私の生年なのです。
青に染めた紙を切りとっては継ぎはぎしてゆくマティスの息使いを感じると、ブルー・ヌードのビーナスが誕生する。
私のお目当ては、彼の最晩年の大仕事、「ヴァンスのロザリオ礼拝堂」。
そしてその礼拝堂の1/20の模型と再会すること。
かつて、この模型はニース市マティス美術館の展示室の片隅で温かな空気をまとって微笑んでいた。
一昨日も同様にむき出しのまま、マティスの言う彼の「感覚」と「手」で作りあげた作品がまさに自由なフォルムを手に入れる時間を紡ぎだしていた。
1951年はロザリオ礼拝堂献堂の年。そして、日本で初めてのマティス展が開かれた年に当たる。
マティス自身が計画を示し、展覧会は「マティス台風」と呼ばれたという記録が残っている。マティスに会って、気持ちを軽くしたいですね。
ブルー・ヌード 足元のサインと年代も見てくださいね。ブルーのビビッドな色違いにしびれます。
ロザリオ礼拝堂の模型です。上から覗き込めるような位置に展示しています。昔は屋根が外されていて中を覗き込めました。
1952年の波。目で追いますと波は揺れます。
式で装う神父さまのローブ。春ですね。マティスは、教会内部を劇場のように考えたと言っています。