TITLE:【Gallery】Let's go to my gallery
新年のごあいさつ
©️Yoko Yamamoto
白銀の山のアトリエは静寂。
息も白く、自然に気持ちが引き締まります。
まずとりかかる仕事は、病院の壁画。2m×6m位の絵です。
足腰や体調を整えて、いつものようにひとりきりのアトリエ仕事がはじまります。
真白のキャンバスを前にして、また自分に挑戦です。
今年もよろしくおねがい致します。
山本容子
©️Yoko Yamamoto
©️Yoko Yamamoto
15 『じどうしゃすきなのね』
©️Yoko Yamamoto
今日はクリスマスイヴ。「真っ赤なお鼻のトナカイさん」を口ずさむ。
「真っ赤なお鼻のトナカイさんは いつも皆の笑い者」
私の鼻のテッペンには小鼻から小鼻にかけて1cm位のキズがある。
このキズは中学生位まで鼻先に色の変化をもたらした。
小学3年の時、関西から東京に転校した時、関東の冬の寒さを楽しんで霜柱観察や
足で踏んでこわす遊びをしていたら、友だちが「あっ鼻の色が変わってる。青いよ。」と言った。
それから気にして鏡をのぞくようになったのだった。
このキズは4歳の時「父が叔父に車の運転を教えている時、
近所の壁にぶつかってフロントガラスが割れてそのガラスで鼻を切った」
と、父から家族に報告された。
その時父の腕に抱かれていた私は、鼻のバンソウコウを指差しながら
「おこちゃんおはなとれちゃったの」と言ったと聞いた。
この言葉を聞いて、家族は全員青い顔になったらしい。
こうして「青い鼻とキズ」は高校生位まで心のちょっとしたキズになっていたが、
鼻がくっつく時ラッキーにも少し上向きについたのか、大人の私は、
少しツンとしたキズのある上向きの鼻が好きだ。
真っ赤なお鼻のトナカイさんの鼻も、光ることによって夜道を照らしサンタの役にたった。
ケガの功名と考える。
2012年4月から読売新聞夕刊の隔週火曜日に、現代の人間関係のありようや世相を考えるエッセーを集めた「たしなみ」のコーナーの挿画を制作しています。
2020年9月からの作者は星野博美さん(作家・写真家)、恩田侑布子さん(俳人)のお二人です。9年目に入った連載を引き続きお楽しみください。
©Yoko Yamamoto
読売新聞夕刊「たしなみ」挿画、2020年12月22日のテーマは「こしゃくな石のマナー」星野博美さんです。
14 『うみがすきなのね』
©️Yoko Yamamoto
大阪堺市の大浜の海辺は、大好きな場所。そこで遊ぶわたしたち子供の姿は、アルバムに貼られている。
水着とゴムのキャップをかぶって浮き輪を腰にまいた姿はもちろんのこと、春や秋や冬の姿まで記録されている。
ワカメや桜貝をとったり、砂の城を作ったり、想像力がバクハツしていた。そして海を見ているのも好きだった。
海は季節や時間帯で変化する。波の高さや色!
砂浜で絵を描いたこともあったけど、家の中で絵を描くのが楽しかった。
思い出しながら描くと自由になれたから。
スケッチブックにピンク色の絵具をバーッとぬって、「海だー」といったら、大人がビックリしたのも覚えている。
その海水浴場は、小学二年の時、姿を消した。
「もう海に行ってはいけません」「埋め立てをします」
そして立派な臨海工業地帯が生まれ、私は海をなくした。
遊びが出来ないという理不尽をはじめて体験した。
こうして強い大人になってゆく。
13 『テレビがすきなのね』
©️Yoko Yamamoto
応接間にはテレビが座っていた。
使っていない時は美しい布がかけられ、それを上げると観音開きのドアが開く。そしてテレビが出てくる。
午後になると近所の方々も少し集まってきて試合観戦となった。
相撲とレスリングの時は部屋は熱気を帯びていた。
皆テレビに向って声をかけたり、拍手をしたり、一体感がすごかった。
家族も集まるのでとても好きな時間だった。
ヒーローは若乃花と力道山。ライバルは胸毛の濃い朝汐と頭をかじるブラッシーだったかな。
この興奮した時間を過したおかげで、わたしはまたひとつ自分の芸を身につけたのだった。
力道山のユニフォームの黒いタイツをはいて、
その上から浴衣の帯にヒモを結んでもらい、若乃花のまわしを身につけた。
最強の出立ちを考えたわけだ。
当然上半身は裸んぼうなので、皆さんは笑ってくれたが、わたしがおんなの子なので、失笑だったのだと思う。
空手チョップをしながら相撲のまねをするおてんばなおんなの子の証明をした。
2012年4月から読売新聞夕刊の隔週火曜日に、現代の人間関係のありようや世相を考えるエッセーを集めた「たしなみ」のコーナーの挿画を制作しています。
2020年9月からの作者は星野博美さん(作家・写真家)、恩田侑布子さん(俳人)のお二人です。9年目に入った連載を引き続きお楽しみください。
©Yoko Yamamoto
読売新聞夕刊「たしなみ」挿画、2020年12月8日のテーマは「亡き人と淡交のマナー」恩田侑布子さんです。
12 『さくらがいがすきなのね』
©️Yoko Yamamoto
砂浜を散歩していてさくらがいを見つけると、とたんに5歳のわたしがでてくる。
色も形も薄くて透明なさくらいろ。そーっと指でつまんで集めていた。
大好きだったが、わたしを殺そうとしたさくらがい。
子供の頃のおたのしみは、「不思議」に出会える手品だった。
大人は皆手品を知っていて、ゲームをしてくれた。
父は洋室にいてテーブルの上のさくらがいを見ると両手をひろげ、てのひらにひとつ、さくらがいをのせた。
さあはじまるぞ。ゲンコツをふたつつくって「どっち、どっち」といいながらさくらがいを移動させる。
にらんでみているのだが、「こっち」とえらんでも当たらないことが多くて、何度もゲームを繰り返した。
どこかに隠したにちがいないと、父のそばをさがしているうちに、
もうひとつのてのひらから「こっちだよ」とさくらがいが出てくるので頭にきた。
そして今度はわたしが手品をするといって父と同じ動作をしながら、
わたしはさくらがいの移動の時、ひょいと口の中に入れた。
口の中に隠すのがわたしのアイデアだった。
ところが、勢いよく息を吸って口にいれたさくらがいは、そのままのどにはりついた!
ゲーゲーと苦しむわたしを見て、父はヒザにわたしのおなかを当てて、ゆびを口の中につっこんだという。
さくらがいは口の中を切って血と一緒に外へ出てきた。
金魚みたいにプワーッと息を吸った時のことは忘れない。
絶対にバレない隠し場所だったのに。
手品はものすごくおこられて、そして失敗に終わった。
11 『ハイヒールがすきなのね』
©️Yoko Yamamoto
ハイヒールは大人の女性のくつ。あこがれだった。
わたしは「おしゃまさん」とよばれていて、おでかけの前にヘアアイロンで髪にくるくるを作ってもらうと、
母のヘアスタイルになったようで嬉しかった。
昔は今より内と外で着るものの区別がハッキリしていたように思う。
父は外から帰ってくると着物に着替えていたし、母は外出の時、自分で仕立てた洋服を着て、ハイヒールをはいた。
合わせてバックを持つと、おでかけだ。わたしはこの支度の時間がウキウキしていて好きだった。
興奮のあまり、母のハイヒールに足を突っこんでかかとを鳴らして歩いていたらすごくおこられた。
ハイヒールは大切な靴。かかとがいたむと大変なのだ。
ハイヒールの魅力はかかとが高いということを発見した日、
わたしは庭履きの木の下駄に、くぎを打つとハイヒールになる!と思いついたのだった。
祖母が「この子はテサキがキヨウだね」と言っていたとおり、
くぎを打ち終えるとすべり台のようなハイヒールが誕生したのだった。
カタカタ、ゴトゴト音を出した下駄は、母の悲鳴と共にゴミ箱行き。
だってくぎは歩くたびに表面に出てきていたからだ。
思いつきは危険と共にあると知ったのだったが、思いつき事件は続いた。
2012年4月から読売新聞夕刊の隔週火曜日に、現代の人間関係のありようや世相を考えるエッセーを集めた「たしなみ」のコーナーの挿画を制作しています。
2020年9月からの作者は星野博美さん(作家・写真家)、恩田侑布子さん(俳人)のお二人です。9年目に入った連載を引き続きお楽しみください。
©Yoko Yamamoto
読売新聞夕刊「たしなみ」挿画、2020年11月24日のテーマは「無駄話のマナー」星野博美さんです。